2017-06-14

仮初の永遠を人は今と呼ぶ

人が死を恐れないのはそれが目に見えないから。仮初の永遠を今と呼ぶなら、未来はあずかり知らぬもの。過去には未練も価値もない、昔はああだった、昔はこうだった。そんな下らないことで今を擦り減らして声高に未来の正しさを人は叫ぶ。私にはどうもそれが受け入れられない。過ぎ去った過去が今の自分を作っていた所で、それが一体なんだと言うのか。今を、そう今を、今を喰らって生きる私は何者なのかも知らぬまま。答えが欲しい、全てを統べる答えが。

人はそれなりの答えをなすり付けて同じく今を喰らう。私はどんな答えをなすりつけられるだろう?どんな正しさを身に付けられるだろう。この身一つで何を出来るというのか。人のために?自分のために?そんなことがあるのか?

私は分からない。きっと誰にもわからないはず。然し人は世界を無視できる。この世の全てを否定できる、肯定できる。それが私にはできないのだ。盲目の人並みの中、薄目を開けた私はもう戻れないのかもしれない。瞼を閉じて生きることが出来ないのかもしれない。この気持ちを誰が分かってくれようか。いや、わかるまい。今これを読むあなたは目を開いた私の世界が見えるのですか?そして再び目を瞑ることが出来るのですか?ねぇ教えて。目の瞑り方を。それができれば私も幸せになれる気がするんだ。目を逸らして生きることができるはずなんだ。

私は力を持たぬ王だ。